神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院・大乗山持経寺ホームページ

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御会式(令和4年) 御会式(令和4年)

令和4年10月23日(日)午後2時より、持経寺本堂において当山「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正当会」が厳粛に奉修されました。
御会式とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅の三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
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御会式(令和4年)御会式(令和4年)

令和4年12月

■一日詣り・永代経(1日) ■広布唱題会(4日)

★広布唱題会(4日)

令和4年12月4日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より、御法話にあたり『三大秘法抄』の一文を拝読申し上げ、通解ののち、「末法の時代には、三大秘法の本門戒壇の大御本尊を唯一絶対の御本尊と拝し、自行化他にわたる本門の題目を唱えることが大切である。自行だけにとどまる題目では〈理行の題目〉になってしまう。末法の時代は自行のみならず化他行たる折伏を行じてこそ、本当の唱題の功徳善根が現れてくる。御法主上人猊下は、折伏は〈事行〉の行いであると御指南あそばされている。自分だけの幸せを願うのではなく、多くの人たちのために一言でも折伏を行じ罪障を消滅し、その大善業によって福徳を積んで幸せな境界で人生を歩んでいただきたい」等との御指導をいただきました。

『三大秘法抄(さんだいひほうしょう/三大秘法稟承事)』
弘安5年4月8日 61歳

「像法には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひて、自行の為にして広く化他の為に説かず。是(これ)理行の題目なり。末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘(わた)りて南無妙法蓮華経なり。」
(御書1594頁17行目)

★一日詣り・永代経(1日)

令和4年12月1日午前10時より、一日詣り・永代経が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『如説修行抄』の御文を拝読申し上げ、通解並びに同抄の縁由・全体の概要、そして同抄の結論として「如説修行とは折伏行に尽きる」と述べられ、『立正安国論』の御文並びに御法主日如上人猊下の御指南を引用され、「人衆疾疫難(にんじゅしつえきなん=伝染病が蔓延し多くの人が亡くなる)であるコロナ禍も未だに多くの人が苦しみ、またロシアとウクライナの戦禍で多くの人々が亡くなっている。そうした三災七難の今こそ、できる限りの折伏行をもって仏国土につながるように努力する。その使命は私たち法華講員一人一人にあるという自覚を持ち、一人でも多くの方々を折伏していかなければならない」等との御指導をいただきました。

『如説修行抄(にょせつしゅぎょうしょう)』
文永10年5月 52歳

「法華折伏破権門理(ほっけしゃくぶくはごんもんり)の金言なれば、終(つい)に権教権門(ごんぎょうごんもん)の輩を一人もなくせ(攻)めを(落)として法王の家人となし、天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独りはむ(繁)昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨土くれをくだ(砕)かず、代はぎのう(義農)の世となりて、今生には不祥の災難を払ひて長生の術を得、人法共に不老不死の理(ことわり)顕はれん時を各々御らんぜよ、現世安穏の証文疑ひ有るべからざる者なり。」
(御書671頁6行目〜10行目)

令和4年11月

■一日詣り・永代経(1日) ■広布唱題会(6日) ■御報恩御講(13日) ■目師会(15日) ■持経寺支部団体登山(27日)

★持経寺支部団体登山(27日)

令和4年11月27日、天野御住職の御引率のもと、法華講持経寺支部団体登山が挙行されました。
コロナ禍の影響によりここ数年、支部総登山は実施されていませんでしたが、今回は支部総登山に準ずる意義をもって、およそ1年前の天野御住職の持経寺御住職就任以来、初めての団体登山となりました。
当日は諸天も寿ぐ好天に恵まれ、およそ180名の参加者全員が午前10時の着山時間に休憩坊に集合し、開催にあたり天野御住職より御指導をいただきました。
そののち午前11時からの御開扉に参列し、御開扉終了後、奉安堂前広場において記念撮影が行われました。
記念撮影終了後、昼食・自由時間ののち、午後1時30分に再び休憩坊に集合し天野御住職より御指導をいただき、団体登山は歓喜にあふれるなか一切を無事に終了いたしました。

★目師会(15日)

令和4年11月15日午後1時より、目師会(もくしえ)が持経寺本堂において奉修されました。
第3祖・日目上人は、日蓮大聖人に御入滅の日まで常随給仕し、日蓮大聖人や日興上人に代って天皇や将軍に国家諌暁(こっかかんぎょう)の申状(もうしじょう)を奏上すること実に42度。その御高徳を拝し御報恩のために奉修されるのが目師会です。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、御法話にあたり天野御住職より『日興跡条々事(にっこうあとじょうじょうのこと)』の御文を拝読申し上げ、日目上人の御事跡についてその御出自から縷々述べられたのち、「御遷化の最期の最期まで身命を賭して天奏に臨んだ不自惜身命のお姿を拝し、それを私たちの心の奥深くに刻んで折伏に精進しなければならない。それを再確認することも、この目師会を奉修する意義である」等との御指導をいただきました。
また法要終了後、目師会の別称である「かぶ御講」に寄せて、総本山と同様にお寺様がかぶのお味噌汁とおにぎり、お漬物等をご用意くださり、感染症対策に留意しつつ、参詣者みんなで美味しく頂戴いたしました。

『日興跡条々事(にっこうあとじょうじょうのこと)』
元弘2年11月10日

「一、本門寺建立の時、新田卿阿闍梨(にいだきょうあじゃり)日目を座主(ざす)と為し、日本国乃至一閻浮提の内、山寺等に於て、半分は日目嫡子(ちゃくし)分として管領せしむべし。残る所の半分は自余の大衆等之を領掌(りょうしょう)すべし。
 一、日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸(か)け奉るべし。
 一、大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ日目之を管領し、修理を加へ勤行を致して広宣流布を待つべきなり。
 右、日目は十五の歳、日興に値ひて法華を信じて以来七十三歳の老体に至るも敢(あ)へて違失の義無し。十七の歳、日蓮聖人の所に詣で甲州身延山 御在生七年の間常随給仕し、御遷化の後、弘安八年より元徳二年に至る五十年の間、奏聞の功他に異なるに依って此くの如く書き置く所なり。仍って後の為(ため)証状件(くだん)の如し。
  十一月十日
           日興花押」
(御書1883頁)

★御報恩御講(13日)

令和4年11月13日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、引き続き御授戒および七五三祝いが執り行われました。そののち御法話にあたり令和4年11月度・御報恩御講拝読御書『阿仏房尼御前御返事』の御文を全員で拝読申し上げ、天野御住職より拝読御文の通解および本抄の概要と要旨、阿仏房および阿仏房尼御前(千日尼)について等述べられたのち、拝読御文の要点として「謗法厳戒」と「折伏の大事」の二点を挙げられ、「謗法は厳しく戒めなければならないが、門内の人に対しては浅き罪であれ重き過ちであれ、それを厳しく言いとがめて退転させたのでは意味がない。相手の誤りについてしっかりと伝え、本人が信心を生涯全うできるように心がけ励ますことが大事である。」等と述べられ、また折伏の大事について「折伏をするということは、相手の誤りを打ち破ると同時に自分自身の誤りを正すことにもなる。自行と折伏は両輪であり、自分のことだけ考えているわがままな信心では成仏は叶わない。他者のことを思うところに自分自身の幸せがある。」等との御指導をいただきました。

『阿仏房尼御前御返事(あぶつぼうあまごぜんごへんじ)』
建治元年9月3日 54歳

「此(こ)の度(たび)大願(だいがん)を立て、後生(ごしょう)を願はせ給(たま)へ。少しも謗法不信(ほうぼうふしん)のとが(失)候(そうら)はゞ、無間大城(むけんだいじょう)疑ひなかるべし。譬(たと)へば海上(かいじょう)を船にのるに、船をろ(粗)そかにあらざれども、あか(水)入(い)りぬれば、必ず船中の人々一時(いちじ)に死するなり。なはて(畷)堅固(けんご)なれども、蟻(あり)の穴あれば必ず終(つい)に湛(たた)へたる水のたま(溜)らざるが如(ごと)し。謗法不信のあかをとり、信心(しんじん)のなはてをかた(固)むべきなり。浅き罪(つみ)ならば我よりゆるして功徳(くどく)を得(え)さすべし。重きあやまちならば信心をはげまして消滅(しょうめつ)さすべし。」
(御書906頁13行目-16行目)

★広布唱題会(6日)

令和4年11月6日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より、御法話にあたり『観心本尊抄』の一文を拝読申し上げ、通解ののち、「迷いの世界に生きる私たち凡夫は、暗中模索で先のことが見えず不安に思うけれども、信心して正しい御本尊様に真剣にお題目を唱えることで乗り越えていける。唱題の功徳によって、世の中のことを正しくつぶさに見えるようになる。〈仏法即世法〉〈世法即仏法〉であり、世法の見えないところが見え、自分の進むべき道、正しい道が開けてくる。ただし〈結論ありき〉の唱題では正しい道には至らず我見に陥りがちであるので、いろいろな道を考えながら御本尊様にご祈念することが大切である」等との御指導をいただきました。

『如来滅後五五百歳始観心本尊抄(にょらいめつごごごひゃくさいにはじむかんじんのほんぞんしょう)』
文永10年4月25日 52歳

「天晴れぬれば地明らかなり、法華を識(し)る者は世法を得(う)べきか。」
(御書662頁1行目)

★一日詣り・永代経(1日)

令和4年11月1日午前10時より、一日詣り・永代経が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『富木尼御前御返事』の御文を拝読申し上げ、拝読箇所の通解並びに同抄の縁由、また富木尼御前について詳細を述べられ、「私たちも年齢を重ねていけば、大なり小なり病気や怪我の体の変調がある。しかしどのような姿になったとしても信心を全うして寿命を迎えるならば、必ずや大聖人様が大白牛車(だいびゃくごしゃ)に乗って迎えに来てくださる。そしてまた大御本尊様の元に馳せ参ずることが私たちの生涯の目的である。そうなれるように、生涯、信心を全うしていただきたい。そして自分たちの跡を継ぐ人たちにもしっかり信心を教え、法灯相続に努力することが大事である。」等との御法話をいただきました。

『富木尼御前御返事(ときあまごぜごへんじ)』
建治2年3月27日 55歳

「病なき人も無常まぬかれがたし。但しとしのはてにはあらず。法華経の行者なり。非業の死にはあるべからず。よも業病(ごうびょう)にては候はじ。設(たと)い業病なりとも、法華経の御力たのもし、阿闍世(あじゃせ)王は法華経を持ちて四十年の命をのべ、陳臣(ちんしん)は十五年の命をのべたり。尼ごぜん又法華経の行者なり。御信心は月のまさるがごとく、しを(潮)のみつがごとし、いかでか病も失(う)せ寿(いのち)ものびざるべきと強盛にをぼしめし、身を持し、心に物をなげかざれ。」
(御書955頁7行目〜)

特設ページ

持経寺第3代御住職入院式 持経寺第3代御住職入院式

去る令和3年11月26日、持経寺本堂において、座替り式並びに第3代御住職・天野之道(あまの・しどう)御尊師の入院式が厳粛に奉修されました。
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★お餅つき開催(19日)

去る令和3年12月19日、持経寺年末恒例・お餅つき大会が開催されました。
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持経寺本院外観

日蓮正宗・大乗山持経寺は、昭和41年(1966年)12月に建立されました。以来50年以上の長きにわたり、川崎の地で日蓮大聖人の正しい信仰を護り伝えています。

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行事案内

持経寺御会式のお花飾り

日蓮正宗では、御報恩御講をはじめとする月例行事、また年間最大行事である御会式をはじめとする年中行事など、さまざまな寺院行事が奉修されています。

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日蓮正宗の信仰

建長5年(1253年)4月28日、日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経」の宗旨を建立されました。立宗770年。日蓮正宗は、宗祖日蓮大聖人の血脈を受け継ぐ正統門下です。

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法華講持経寺支部

日蓮正宗の信徒組織を「法華講(ほっけこう)」といい、全国の日蓮正宗寺院には各法華講の支部があります。ここでは法華講の由来と持経寺支部をご紹介します。

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