神奈川県川崎市の日蓮正宗寺院・大乗山持経寺ホームページ

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令和4年7月

■一日詣り・永代経(1日) ■広布唱題会(3日) ■御報恩御講(10日) ■盂蘭盆会(15日)

★盂蘭盆会(15日)

令和4年7月15日午後1時より、盂蘭盆会が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向・願い出の諸御祈念等と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『刑部左衛門尉女房御返事』の御文を拝読申し上げました。そして「お盆の起源」として、釈尊十大弟子の一人・神通第一の目連尊者が、餓鬼界に堕ちた母親を神通力をもって救おうと尽力したものの叶わず、釈尊に教えを乞うて母を餓鬼界から一劫の間救うことができた。しかしそれは母を成仏に導いて救うには至らず、さらに釈尊の教えに従って、法華経をもって目連尊者自身が修行し仏の境界となって供養することで、母を永遠に餓鬼界から救い成仏に導くことができたという説話を紹介され、「一つの大きな節目である本日の盂蘭盆会にあたり寺院に参詣され、日蓮大聖人の御本尊様のもと塔婆を建立されお題目を唱え、仏様の境界をもって亡き諸精霊を供養されたことで、亡き諸精霊もこれ以上ない功徳をいただいているものと確信いたします」と御法話を結ばれました。

『刑部左衛門尉女房御返事(ぎょうぶさえもんのじょうにょうぼうごへんじ)』
弘安3年10月21日 59歳

「夫(それ)目連尊者(もくれんそんじゃ)の父をば吉占師子(きっせんしし)、母をば青提女(しょうだいにょ)と申せしなり。母死して後餓鬼道に堕ちたり。しかれども凡夫の間は知る事なし。証果の二乗となりて天眼(てんげん)を開きて見しかば母餓鬼道に堕ちたりき。あらあさましやといふ計(ばか)りもなし、餓鬼道に行きて飯をまゐ(進)らせしかば、纔(わずか)に口に入るかと見えしが飯変じて炎となり、口はかなへ(鼎)の如く飯は炭をおこせるが如し。身は灯炬(とうこ)の如くもえあがりしかば、神通(じんずう)を現じて水を出だして消す処に、水変じて炎となり、弥(いよいよ)火炎のごとくもゑあがる。目連自力には叶はざる間、仏の御前に走り参り申してありしかば、十方の聖僧を供養し、其の生飯(さば)を取りて纔に母の餓鬼道の苦をば救い給へる計りなり。」
(御書1505頁4行目-9行目)

★御報恩御講(10日)

令和4年7月10日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、まず御法話に先立ち、先に行われた講習会登山参加した意義の上から折伏に精進することが大切であること、および7月・8月のお盆経(棚経)について「一年に一回は袈裟衣をつけた僧侶を招いて、お家の御本尊様に読経・唱題することが大切である」旨の御指導をいただきました。そののち令和4年7月度・御報恩御講拝読御書『四条金吾殿御返事』の御文を全員で拝読申し上げ、天野御住職より、本抄の縁由・概要および四条金吾頼基について述べられ、拝読部分の通解ののち、本抄の要点として二点を挙げられ、まず「法華経は仏様の随自意の教えであり難信難解である」から、教えを理解してから信心するとかではなく、家族、友人・知人に、まず仏様を信じて御本尊様にお題目を唱えることで幸せになれると教えることが大切であること。そして「成仏は持(たも)つにあり」であり、いかなる困難も必ず乗り越えて願いも必ず叶い幸せになっていくのだから、何があっても生涯にわたって信心をまっとうする強い気持ちを持つようにと述べられ、そして励まし合い助け合いながら皆で御信心をまっとうできるようにお願いしますと御法話を結ばれました。

『四条金吾殿御返事(しじょうきんごどのごへんじ)』
文永12年3月6日 54歳

「法華経の文(もん)に「難信難解(なんしんなんげ)」と説(と)き玉(たま)ふは是なり。此(こ)の経をき(聞)ゝう(受)くる人は多し。まことに聞き受くる如(ごと)くに大難(だいなん)来たれども「憶持不忘(おくじふもう)」の人は希(まれ)なるなり。受くるはやす(易)く、持(たも)つはかた(難)し。さる間(あいだ)成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難(なん)に値(あ)ふべしと心得(こころえ)て持つなり。「即為疾得無上仏道(そくいしっとくむじょうぶつどう)」は疑ひ無し。三世(さんぜ)の諸仏の大事(だいじ)たる南無妙法蓮華経を念ずるを持つとは云(い)ふなり。」
(御書775頁12行目-15行目)

★広布唱題会(3日)

令和4年7月3日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より御法話に先立ち、『阿仏房尼御前御返事』を拝読申し上げ、通解ののち「折伏をしないと、これまでの人生で積み重ねてきた徳が破られて誤った人生になってしまう。常に謗法に対しては自他のために慈悲の折伏に精進しなければならない。相手の誤りを正すことは自分自身を正すことに通じる」と述べられ、「大聖人様の御化導は立正安国論に始まり立正安国論に終わると言われる、破邪顕正の精神である。今月はその『立正安国論』が著された月であるので、特に力を込めて折伏行に御精進いただきたい」等と御指導いただきました。

『阿仏房尼御前御返事(あぶつぼうあまごぜごへんじ)』
建治元年9月3日 54歳

「いふといはざる(不言)との重罪免(まぬか)れ難し。云ひて罪のまぬかるべきを、見ながら聞きながら置いていま(禁)しめざる事、眼耳(げんに)の二徳忽(たちま)ちに破れて大無慈悲なり。章安の云はく「慈無くして詐(いつわ)り親しむは即ち是(これ)彼が怨なり」等云々。重罪消滅しがたし。弥(いよいよ)利益の心尤(もっと)も然(しか)るべきなり。」

★一日詣り・永代経(1日)

令和4年7月1日午前10時より、一日詣り・永代経が持経寺本堂において奉修されました。
読経に引き続き、7月唱題行として午前11時まで唱題ののち焼香・各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、天野御住職より、7月唱題行、および7月・8月のお経回り(棚経)について「一年に一回は袈裟衣をつけた僧侶を招いて、お家の御本尊様に読経・唱題することが大切である」旨の御指導をいただきました。そののち『種々御振舞御書』が拝読され、通解および本抄の縁由および全体の概要ののち、大聖人様が第一回目の国家諫暁として立正安国論を奏呈あそばされたこの7月にあたり、「私たち一人一人が大聖人様の仏法を広宣流布すべく折伏行に精進することで国家が安穏となり皆が幸せになっていく。特にこの7月は唱題行を根本にして慈悲の折伏行に精進しましょう」と御指導を結ばれました。

『種々御振舞御書(しゅじゅおふるまいごしょ)』
建治2年 55歳

「教主釈尊の御使ひなれば天照太神・正八幡宮も頭(こうべ)をかたぶけ、手を合はせて地に伏し給うべき事なり。法華経の行者をば梵釈左右に侍(はべ)り日月前後を照し給ふ。かかる日蓮を用いぬるともあしくうやま(敬)はゞ国亡ぶべし。何(いか)に況(いわん)や数百人ににく(憎)ませ二度まで流しぬ。此の国の亡びん事疑いなかるべけれども、且(しばら)く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひか(控)うればこそ、今までは安穏にありつれども、はう(法)に過ぐれば罰あたりぬるなり。又此の度も用ひずば大蒙古国より打手を向けて日本国ほろぼさるべし。」
(御書1066頁7行目-11行目)

令和4年6月

■一日詣り・永代経(1日) ■広布唱題会(5日) ■御報恩御講(12日)

★御報恩御講(12日)

令和4年6月12日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、まず御法話に先立ちお盆時期の「お経回り(棚経)」の大切さについてお話があり、次いで「自分たちのお寺である。持経寺を護っていくのは皆様しかいない」として、それぞれの分に応じての精一杯の御供養をもってお寺をみんなで護って支えていくことが大事であると御指導いただきました。そののち令和4年6月度・御報恩御講拝読御書『祈禱抄』の御文を全員で拝読申し上げ、天野御住職より、本抄の縁由および全体の概要、拝読部分の通解ののち、当抄の要点として「願いは必ず叶う」そして「どんな人であってもこの題目を唱えるならば諸天善神が守護してくださる」という二点を示され、御法主日如上人猊下の「祈りを成就するためには行動が伴うことを忘れてはならない」との御指南を引用されたのち、何があっても決して持経寺の御本尊様から離れることなくお題目を唱えて信心に励んで、本当に立派な、幸せな人生にしてまいりましょうと御法話を結ばれました。

『祈禱抄(きとうしょう)』
文永9年 51歳

「大地(だいち)はさゝばはづるゝとも、虚空(こくう)をつなぐ者はありとも、潮(しお)のみ(満)ちひ(干)ぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事はあるべからず。法華経の行者を諸(もろもろ)の菩薩・人天(にんでん)・八部(はちぶ)等、二聖(にしょう)・二天(にてん)・十羅刹(じゅうらせつ)等、千(せん)に一(いち)も来たりてまぼ(守)り給はぬ事侍(はべ)らば、上(かみ)は釈迦諸仏(しゃかしょぶつ)をあなづり奉(たてまつ)り、下(しも)は九界(くかい)をたぼらかす失(とが)あり。行者は必ず不実なりとも智慧はをろかなりとも身は不浄なりとも戒徳(かいとく)は備(そな)へずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給ふべし。」
(御書630頁7行目-11行目)

★広布唱題会(5日)

令和4年6月5日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
読経・広布唱題行終了後、天野御住職より御法話に先立ち、支部の折伏誓願目標に対する現在の進捗状況についてお話があり、広布唱題会参加の意義を肝に銘じて、一年に一人が一人の折伏成就に向かって精進できるように、またいろいろな状況を見るに法灯相続の整っていないご家庭が多いので、自身の責任として後代に御信心を教えていくようにとの御指導をいただきました。そして第六十七世日顕上人猊下の御指南集『すべては唱題から』の「六、尊厳の体に帰す」を拝読申し上げ、平等の中に差別があり、差別の中に平等があり、私たちの世の中は不平等が多々あるけれども、それを認めて唱題行をしていくことで、不平等の中にまた幸せな姿があり、いろいろな大変なことがあっても必ず乗り越えていける。それが日顕上人お示しの「尊厳」であるとの御指導いただきました。

総本山第六十七世日顕上人猊下御教示『すべては唱題から』
六、尊厳の体に帰す

「我々の身体や性質は、各人共通して同じところもあるが、また各人各様で、あらゆるところが異なっている一面もある。すなわち、平等の面と差別の面である。身体や精神に色々な故障があったり、性格の違いや対人関係の問題等で、多くの人が互いに悩んでいる。これは、自己の命の奥に伏在する、限りない真実の体を見失っているからである。
万物の、より高い次元で共通しているのは「尊厳」の二字である。妙法は、我々の尊厳の体であり、真実の体である。故に、妙法を持ち唱えることは、この尊厳の体に帰するのである。」

★一日詣り・永代経(1日)

令和4年6月1日午前10時より、一日詣り・永代経が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・焼香・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち天野御住職より、御法話のはじめに『諸法実相抄』の御文を拝読申し上げ、通解並びに対告衆である最蓮房について等々同抄の縁由・概要を述べられたのち、末法の私たちも大聖人様の御当体である御本尊様を信じて行学に精進するならば、必ず凡夫の身そのままに即身成仏の大功徳を顕すことができること、そして「信・行・学」の大事について御法主日如上人猊下の御指南を引用され、最後に本日拝読部分の「我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」との仰せの通り、それぞれが自身の力に応じて自行化他、折伏の実践に御精進いただきたいと述べられ御法話を結ばれました。

『諸法実相抄』
文永10年5月17日 52歳

「一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ。あひかま(相構)へて、あひかま(相構)へて、信心つよく候ふて三仏の守護をかう(蒙)むらせ給うべし。行学の二道をはげみ候べし、行学た(絶)へなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」
(御書667-668頁)

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