愚かで、文章も読めないような人が、南無妙法蓮華経を唱えて利益(りやく)があるのか、という疑問を抱く人もあろうが、利益は必ず存(そん)するのである。唱題により、我々の身と口と意のうち、まず口業(くごう)の功徳を成就する。これにより、仏の種子がおのずから胸に収まり、身業と意業にも次第に善の功徳が積まれ、やがて将来に仏道を成就する人となる。
(総本山第六十七世日顕上人猊下御教示『すべては唱題から』 15ページ)
令和6年11月17日(日)午後2時より、持経寺本堂において当山「宗祖日蓮大聖人・御会式(おえしき)御正當会(ごしょうとうえ)」が厳粛に奉修されました。
御会式とは、末法の御本仏・日蓮大聖人が弘安5年(1282年)年10月13日、武州池上(現在の東京都大田区)の右衛門太夫宗仲の館において御入滅あそばされ、滅・不滅、三世常住(さんぜじょうじゅう)の相を示されたことをお祝いする法要です。
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令和7年5月1日、午前10時より、お経日が持経寺別院において奉修されました。
法要は読経・唱題、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『種々御振舞御書』を拝読申し上げ、通解並びに対告衆である光日尼ならびに本抄全体の概要等について述べられたのち、「世の中が平和で、私たちが幸せな境涯で一生を終えるためには、一人一人が広宣流布を目指し、自行・化他行に精進していくことが一番大切である。しかし人はそれぞれ、時間のある人ない人、お話が上手な人そうでない人等まちまちである。けれども、話が上手でないから折伏はできないとか言っていたら、自分も幸せになれないし変わってもいけない。そうした心を、大聖人様の教えに準じて乗り越え信心修行に励むことにより、自分自身が変わり、幸せな境涯になっていく。そのためには自行だけではダメであり、自行と慈悲の化他行が相まってこそ本当の幸せをいただけるのである。」等との御指導をいただきました。
『種々御振舞御書(しゅじゅおふるまいごしょ)』
建治2年 55歳
教主釈尊の御使ひなれば天照太神・正八幡宮(しょうはちまんぐう)も頭(こうべ)をかたぶけ、手を合はせて地に伏し給ふべき事なり。法華経の行者をば梵釈左右に侍(はべ)り日月前後を照らし給ふ。かゝる日蓮を用ひぬるともあしくうやま(敬)はゞ国亡ぶべし。何(いか)に況(いわ)んや数百人ににく(憎)ませ二度まで流しぬ。此(こ)の国の亡びん事疑ひなかるべけれども、且(しばら)く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひか(控)うればこそ、今までは安穏にありつれども、はう(法)に過ぐれば罰あたりぬるなり。又此の度も用ひずば大蒙古国より打手を向けて日本国ほろぼさるべし。
(御書1066頁7〜11行目)
令和7年4月14日より、持経寺創立60周年記念事業「本堂大改修工事」が着工いたしました(完成は6月末日予定)。
今後もお寺様のお力添えをいただきまして、順次、完成までの様子を掲載させていただく予定です。
■お経日(1日) ■広布唱題会(6日) ■百日間唱題行 満行(11日) ■御報恩御講(13日) ■第1回 持経寺支部総登山(20日) ■宗旨建立会(28日)
『日蓮大聖人御一代絵圖』(昭和五十六年 日蓮大聖人第七百遠忌記念/大石寺)より
令和7年4月28日午前10時より、持経寺別院において宗旨建立会(しゅうしこんりゅうえ/立宗会)が奉修されました。
宗旨建立会は、末法の御本仏・日蓮大聖人が南無妙法蓮華経の大法の宗旨を建立し、立宗を宣言あそばされた建長5年(1253年)4月28日を記念して御報恩申し上げる法要です。
読経・唱題行ののち、天野御住職より、御法話のはじめに『開目抄』の御文を拝読申し上げ、大聖人は幼名「善日麿』12歳での清澄寺入山、16歳で道善房を師として「是生房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)」と名乗られての御出家から2年で清澄寺での研鑽を終えられ、比叡山・三井寺・薬師寺・高野山・東寺・仁和寺・天王寺等々での14年間の諸国遊学等について述べられたのち『妙法比丘尼御返事』を引用され、「大聖人様は肝要を知る御本仏の広大な御智慧から、枝葉の細かな経々や教釈に目を通さずとも真理を覚知され、この世の災いの原因は釈尊出世の本懐である〈法華経〉を蔑ろにした邪義・邪宗にあると看破された」等と述べられ、釈尊滅後2000年以後の末法において、法華経に予証・予言される通りに一切の根本である南無妙法蓮華経のお題目を、建長5年3月28日に御内証の上から内々の方々に宣示あそばされ、4月28日、一切衆生成仏のため外用(げゆう)弘通の立宗を宣言あそばされたこと、また「日蓮」との御名乗りの意味等々について御法話いただきました。
そして「冒頭拝読の『開目抄』の御文の通り、日蓮大聖人は身命に及ぶことを御覚悟の上で、末法の一切衆生救済のために南無妙法蓮華経を御本仏の大慈大悲の上から唱え出されたことを、私たちは毎年の立宗会において再確認し、大聖人様のお振舞いの通り慈悲の折伏行に精進し、一年に一人が一人の折伏を目指してまいりましょう」と述べられ、御法話を結ばれました。
『開目抄(かいもくしょう)』
文永9年2月 51歳
「日本国に此(これ)をしれる者、但(ただ)日蓮一人(いちにん)なり。これを一言(いちごん)も申し出(い)だすならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来たるべし。いわずば慈悲なきににたりと思惟(しゆい)するに、法華経・涅槃経等に此(こ)の二辺を合はせ見るに、いわずば今生は事なくとも、後生は必ず無間地獄に堕つべし。いうならば三障四魔必ず競ひ起こるべしとしりぬ」
(御書538頁)
『妙法比丘尼御返事(みょうほうびくにごへんじ)』
弘安元年9月6日 57歳
「此等(これら)の宗々枝葉(しゅうじゅうしよう)をばこまかに習はずとも、所詮(しょせん)肝要を知る身とならばやと思ひし故に、随分にはし(走)りまはり、十二・十六の年より三十二に至るまで」
(御書1258頁)
『観心本尊抄(かんじんのほんぞんしょう)』
文永10年4月25日 52歳
「此(こ)の時地涌千界(じゆせんがい)出現して、本門の釈尊を脇士(きょうじ)と為(な)す一閻浮提(いちえんぶだい)第一の本尊、此の国に立つべし。」
(御書661頁)
令和7年4月20日、天野御住職の御引率のもと、『令和7年 第1回持経寺支部総登山』が挙行されました。
かねてより雨の予報もありましたが、当日は晴れて暑くなることも、また雨が降ることもなく、快適な気候に恵まれました。
今回は午前10時より墓参が行われ、天野御住職の御導師のもと、総本山第六十七世日顕上人、持経寺初代御住職・教行阿闍梨法胤房日生大徳、および持経寺合葬墓にて読経・唱題・焼香が厳粛に執り行われました。
午前11時には約160名の参加者が総二坊2Cに集合、全体会を開催し天野御住職より御指導をいただきました。
そののち皆で一緒に昼食をいただき、小憩ののち午後1時30分より御開扉を頂戴いたしました。そして終了後再び休憩坊に集合し天野御住職より御指導をいただき、最後に広布の広場にて記念撮影を行い、今回の支部総登山は一切を無事に終了いたしました。
▲総本山第六十七世日顕上人
▲三師塔前にて記念撮影
▲持経寺初代御住職・教行阿闍梨法胤房日生大徳
▲持経寺合葬墓
令和7年4月13日午後1時より、御報恩御講が持経寺本堂において奉修されました。
法要は献膳・読経・唱題と如法に厳修され、御法話に先立ち、天野御住職より令和7年4月度・御報恩御講拝読御書『上野殿御返事』を拝読申し上げ、通解並びに対告衆の南条時光、および御述作当時の背景等について述べられたのち、「大願とは御本仏大聖人様の御遺命たる一切衆生救済であり、それには私たちが折伏をしていかなければならない。法は自ら弘まることはなく、弘める人がいなければ広宣流布は達成できない。」等と述べられ、さらに御法主日如上人猊下の御指南を引用され、「〈法華経のゆえに命を捨てよ〉〈身命を捨てて〉とは、訳もなく命を無駄にすることではなく、我々に与えられた寿命という貴重な時間を御本尊様に捧げ、広宣流布のために使って折伏を行じていくことである。私たち一人一人が、先達の方々に恥ずかしくない信行に住し、この御書の御文の通りに法華経のために命を使い、一年に一人が一人の折伏を達成してまいりましょう。」等との御指導をいただきました。
また御報恩御講終了後、小枝会計部長より会計報告が行われ、また翌日から予定されている本堂大改修工事に向けて、皆でお手伝いをさせていただきました。
『上野殿御返事(うえのどのごへんじ/別称『竜門御書』)』
弘安2年11月6日 58歳
願はくは我が弟子等(でしら)、大願(だいがん)ををこせ。去年(こぞ)去々年(おととし)のやくびゃう(疫病)に死にし人々のかずにも入(い)らず、又(また)当時(とうじ)蒙古(もうこ)のせ(攻)めにまぬ(免)かるべしともみへず。とにかくに死は一定(いちじょう)なり。其の時のなげ(歎)きはたうじ(当時)のごとし。をなじくはかり(仮)にも法華経のゆへに命(いのち)をすてよ。つゆ(露)を大海(だいかい)にあつらへ、ちり(塵)を大地(だいち)にうづ(埋)むとをもへ。
(御書1428頁1行目〜4行目)
令和7年4月11日午前10時より百日間唱題行が行われました。
この百日間唱題行は、天野御住職が持経寺に赴任された翌年より持経寺として毎年実施されており、本年も折伏誓願達成を期して年頭より行われ、4月11日(10日は葬儀のため順延)をもって満行を迎えました。
令和7年4月6日午前9時より、広布唱題会が持経寺本堂において奉修されました。
本日は、天野御住職が総本山御霊宝虫払大法会への御出仕により不在のため、講頭を中心に執り行われました。
令和7年4月1日、午前10時より、お経日が持経寺本堂において奉修されました。
法要は読経・百日間唱題行、各家塔婆供養・永代供養精霊等の追善回向と如法に厳修され、そののち御法話に先立ち、天野御住職より『聖愚問答抄』を拝読申し上げ、通解並びに本抄全体の概要等について述べられたのち、「私たちは、天から糸をたらして海中の針の穴に入るような、また一眼の亀が浮木に遇うような確率で人間として生まれ、さらに値い難き大聖人様の仏法に巡り会っている。それをよくよく自覚して、生涯変わることなく信心を全うし、さらには縁ある方々すべてを大聖人様の仏法にご案内する、折伏することが法華講員の使命であり喜びである。どこまでも慈悲の心を持ち、多くの方々を折伏し、そしてそれによって私たち自身も幸せになっていく。最後まで、唱題と折伏に精進してまいりましょう。」等との御指導をいただきました。
『聖愚問答抄(しょうぐもんどうしょう)下』
文永5年 47歳
人身は得難(えがた)く、天上の糸筋の海底の針に貫けるよりも希(まれ)に、仏法は聞き難くして、一眼(いちげん)の亀の浮木(ふぼく)に遇(あ)ふよりも難(かた)し。今既に得難き人界(にんがい)に生(しょう)をうけ、値ひ難き仏教を見聞(けんもん)しつ、今生をもだ(黙止)しては又(また)何(いず)れの世にか生死を離れ菩提(ぼだい)を証すべき。夫(それ)一劫受生(いっこうじゅしょう)の骨は山よりも高けれども、仏法の為にはいまだ一骨をもす(捨)てず。多生恩愛の涙は海よりも深けれども、尚(なお)後世の為には一滴をも落さず。拙(つたな)きが中に拙く愚かなるが中に愚かなり。設(たと)ひ命をすて身をやぶるとも、生を軽くして仏道に入り、父母の菩提を資(たす)け、愚身が獄縛(ごくばく)をも免(まぬか)るべし。能(よ)く能く教(おしえ)を示し給え。
(御書402頁4行目〜)
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